DUNS番号とは|奴隷制廃止論者が1841年に始めた信用調査から、9桁の企業コードまで
企業を一意に識別する9桁は、政府が作ったものではない。1841年にニューヨークで奴隷制廃止論者が開いた信用調査会社が出発点で、その台帳は2,522冊がハーバードに残っている。1963年に番号になり、2006年には番号が足りなくなってチェックディジットを外し、米国連邦調達では20年近く必須だった。そして2022年4月4日、政府は自前の識別子へ移った。
2024年4月5日公開 / 2026年9月 全面改稿
DUNS番号は、企業に割り当てられる9桁の識別番号である。ダン・アンド・ブラッドストリート(D&B)という民間企業が発行している。
企業の識別番号というと、国が振るものを思い浮かべる。日本の法人番号、EUのEORI番号、インドのPAN。ところがDUNS番号は違う。国際的に最も広く使われている企業コードのひとつが、民間の信用調査会社の社内番号として始まっている。
その会社の出発点は1841年のニューヨークで、創業者は奴隷制廃止運動の指導者だった。
目次
- 1837年、信用で潰れかけた
- 1841年7月20日、ニューヨーク
- 調べていたのは、財務だけではなかった
- 2,522冊の台帳
- シンシナティの競合と、1933年の合併
- 1963年、番号になる
- 2006年、番号が足りなくなった
- 米国政府が借りていた20年
- 2022年4月4日
- 日本側の年表——1892年の商工社
- 誰が企業を数えるのか
1837年、信用で潰れかけた
ルイス・タッパン(Lewis Tappan)は、ニューヨークの商人であり、奴隷制廃止運動の指導者として知られる人物である。スペイン船アミスタッド号で反乱を起こしたアフリカ人たちの解放運動に関わったことでも知られている。
兄のアーサー・タッパンがマンハッタン南部で絹の卸売業で財を成し、ルイスを迎え入れていた。アーサー・タッパン商会である。
そこへ1837年恐慌が来る。若い合衆国を襲った最悪級の不況で、原因は商人たちが信用を広げすぎたことだった。掛けで売り、その代金の見込みを担保にまた仕入れる。連鎖のどこかが止まれば全体が止まる。タッパン商会は期日に支払えなくなり、ルイスは破産寸前まで行った。
ここが出発点である。伝えられるところでは、ルイス・タッパンは信用取引を嫌っていた。それでも、掛けで売ることが唯一の売り方になりつつあることは分かっていた。ならば、相手が信用できるかをどう測るのか。
彼がやったのは、債務者の人物と資産についての「噂」を体系化することだった。 商人たちが酒場や取引所で交換していた断片的な評判を、集め、記録し、必要なときに引き出せる形にする。
1841年7月20日、ニューヨーク
1841年7月20日、タッパンはニューヨーク市でマーカンタイル・エージェンシー(The Mercantile Agency)を開いた。世界で最初に大規模な事業として成立した信用調査機関である。
解こうとした問題ははっきりしている。ニューヨーク市場で取引しようとする米国とカナダの商人について、掛けで売って大丈夫かどうかを、売る側は知りようがなかった。相手は遠くにいる。会ったこともない。取引の規模が国全体に広がると、個人的な評判だけでは足りなくなる。
タッパンの仕組みは、現地に情報源を置くことだった。全米の各地に通信員を置き、その土地の商人について報告させる。ハーバード大学ベイカー図書館の説明によれば、通信員は弁護士であることが多く、銀行の出納係、郵便局長、保安官、あるいは別の商人であることもあった。
そして、タッパンはこの網を作るのに自分の廃止運動の人脈を使っている。反奴隷制のネットワークが、そのまま信用調査の情報網になった。
1844年には顧客が280を超えている。マーカンタイル・エージェンシーという名前は、やがて同種の商売を指す普通名詞になった。
調べていたのは、財務だけではなかった
この事業の性格を示す一文がある。通信員が本社へ報告していた内容についての記述である。
reported back on their subjects' financial solvency as well as their character
支払能力と、そして人物について。
信用調査は最初から、数字だけを扱うものではなかった。財務の状態と並べて、その人物がどういう人間かが書かれていた。報告は手書きで本社に送られ、ニューヨークの本部で台帳にまとめられた。
現代の企業データベースが「与信」と呼んでいるものの原型がここにある。そして、人物評を書くという性格は、後に歴史研究の対象になる。書かれた側の出自や信仰や出身地に対する当時の偏見が、そのまま台帳に残っているからである。
2,522冊の台帳
その台帳が現存している。
ハーバード・ビジネス・スクールのベイカー図書館が所蔵する R. G. Dun & Co. の信用報告台帳は、1840年から1895年までの2,522冊。1840年代から1890年代にかけて、現場の通信員が集めた情報を本社の書記が巨大な手書きの帳簿にまとめたものである。ダン・アンド・ブラッドストリートがこの台帳をベイカー図書館に寄贈したのは1962年だった。
通信員の顔ぶれについて、ベイカー図書館はこう書いている。エイブラハム・リンカーン、ユリシーズ・S・グラント、グロバー・クリーブランド、ウィリアム・マッキンリーが、いずれもある時期に通信員として働いていたと考えられている(it is believed that)。
断定ではない。図書館自身が推定として書いているので、ここでもそのまま推定として置いておく。ただ、通信員に弁護士が多かったという事実と、この4人がいずれも法律家出身の大統領であることは、噛み合ってはいる。
シンシナティの競合と、1933年の合併
競合が現れる。
1849年、オハイオ州シンシナティのジョン・M・ブラッドストリート(John M. Bradstreet)が、顧客の財産整理の過程で大量の信用情報を手に入れ、同種の会社を立ち上げた。
タッパン側は経営者が替わる。1859年、会社はロバート・グラハム・ダン(Robert Graham Dun)に引き継がれ、社名がただちに R. G. Dun & Company に変わった。同年、最初の信用報告集『ダン・ブック』が刊行されている。
二社が並び立つ時代が70年以上続き、1933年3月、R. G. Dun & Company が John M. Bradstreet と合併してダン・アンド・ブラッドストリートになった。 合併を主導したのはダン側の経営者アーサー・ホワイトサイドである。
1841年に始まった側と、1849年に始まった側。名前だけを見れば今のD&Bは一社だが、中身は二つの19世紀の会社が合わさっている。
1963年、番号になる
ここまで、扱われていたのは名前と報告書だった。会社名は変わるし、同じ名前の会社は複数ある。支店なのか別会社なのかも紛らわしい。
1963年、D&Bは自社の信用調査業務を支えるために、9桁の番号を導入する。 Data Universal Numbering System、略してDUNS。事業所ごとに、他と重複しない番号を振る。
この番号の作り方には、ひとつ特徴がある。桁に意味がない。国も業種も設立年も、番号から読み取れない。HSコードのように前の2桁が分類を表す、という設計ではなく、単に一意であることだけを目的にした通し番号である。
意味を持たせないという選択は、結果として寿命を延ばした。分類を埋め込んだ番号は、分類が変わると番号を作り直すことになる。DUNS番号にはその問題が起きない。
現在、D&Bのデータベースには3億件を超える登録がある。
2006年、番号が足りなくなった
意味のない9桁にも、限界はあった。
導入当初のDUNS番号は、9桁のうち最後の1桁がモジュラス10のチェックディジットだった。入力ミスを検出するための桁である。番号を書き写すのが人間の手作業だった時代には、理にかなった設計だ。
2006年12月ごろ、D&Bはこのチェックディジットを廃止した。 理由は番号の枯渇である。検査用に1桁を使っていると、実際に使える組み合わせはその10分の1になる。チェックディジットをやめて、その桁も番号として使えるようにしたことで、使える番号が8億個増えた。
誤りを検出する仕組みと、番号の総数と。どちらを取るかという問題で、後者が選ばれている。手で書き写す機会が減り、システム同士が番号を受け渡すようになった時代の判断だった。
米国政府が借りていた20年
民間の社内番号だったものが、政府の制度に入る。
米国では、連邦調達規則(FAR)に基づき、2003年10月から2022年4月まで、連邦政府と契約するすべての事業者にDUNS番号が要求されていた。 補助金を受ける場合も同様である。米国政府と取引したいなら、民間企業に申請して番号をもらうところから始めなければならなかった。
この構図には無理がある。
番号を発行する権限は一民間企業が持っている。事業者は第三者を経由しなければ番号を取れず、何か問題が起きればその会社のヘルプデスクに連絡することになる。そして連邦政府は、そのデータベースへのアクセスのために毎年多額を支払っていた。
DUNS番号の取得自体は無料である。しかし番号を管理するデータベースと、それを政府が使う権利は無料ではない。
2022年4月4日
米国政府は、自前の識別子に切り替えた。
2022年4月4日、連邦調達のデータベースであるSAM.govが、DUNS番号の使用をやめ、政府自身が発行するUEI(Unique Entity Identifier)に移行した。
説明されている理由は三つある。納税者が、政府自身が発行できるものについて民間事業者に支払っていたこと。事業者が第三者を経由しなければ番号を取得できなかったこと。そして、連邦のデータは連邦のシステムに置かれるべきだという考え方である。
新しい識別子はSAM.gov上で申請され、SAM.gov上で発行される。設計の理由も説明されている。将来また別の事業者に検証業務を委ねることになっても、事業者側の移行を一度で済ませられるようにするためだ、と。
ただしDUNS番号が消えたわけではない。欧州委員会、国連、オーストラリアの政府機関が業務によってはこの番号を求めており、50を超える国際的な業界団体・業界標準がDUNS番号を認知、推奨、あるいは要求している。米国政府という最大の利用者が抜けた後も、番号そのものは動き続けている。
日本側の年表——1892年の商工社
日本にも、同じ時期に始まった系譜がある。
東京商工リサーチの創業は1892年、「商工社」としてである。同社の説明によれば、明治の殖産興業で企業の設立と取引が活発になり、手形取引や信用取引が広がる一方、欧米ではすでに信用調査機関が活動していた、という時代背景があった。タッパンの創業から51年後である。
1933年5月に株式会社東京商工興信所として法人化し、1974年に現在の商号へ変更した。ニューヨークでD&Bが合併したのが1933年3月なので、法人化はその2か月後にあたる。
D&Bとの関係は後からできている。1994年に業務提携を結び、1996年から、同社のコードとDUNS番号の紐付けを開始した。 2007年に設立された合弁会社の事業を2012年に全て引き継ぎ、日本で唯一のD&B製品提供者になっている。
日本の企業がDUNS番号を取得する経路が国内にあるのは、この積み重ねの結果である。
誰が企業を数えるのか
19世紀の半ば、遠くの商人が信用できるかどうかを知る方法は存在しなかった。それを事業として最初に組み立てたのは、政府でも銀行でもなく、奴隷制廃止運動の人脈を持った一人の商人だった。
その会社が社内の整理のために振った9桁の番号が、やがて各国政府や国際機関が使う識別子になった。米国政府は20年近くそれを借り、2022年に自前のものへ置き換えた。理由は番号の出来ではなく、誰がそれを持っているかだった。
参照
- The Papers of Abraham Lincoln, "Mercantile Agency"(1841年、ニューヨークの商人であり奴隷制廃止論者のルイス・タッパンが開設。世界初の大規模な信用調査機関。通信員は弁護士や銀行家で、支払能力と人物について報告した。1844年に顧客280超)
- Amistad Research Center および Time 誌「Your Credit Score's Long History」ほか(アーサー・タッパン商会の絹卸売業、1837年恐慌での経営難、信用取引への嫌悪と、債務者の人物・資産に関する情報を体系化するに至った経緯)
- Harvard Business School, Baker Library, R.G. Dun & Company Credit Report Volumes(1840年から1895年までの2,522冊。1962年にダン・アンド・ブラッドストリートより寄贈。通信員は弁護士が多く、銀行出納係・郵便局長・保安官・商人の場合もあった。リンカーン、グラント、クリーブランド、マッキンリーが通信員だったと「考えられている」との記述)
- Dun & Bradstreet 社史(1849年 John M. Bradstreet がシンシナティで創業/1859年 Robert Graham Dun が承継し R. G. Dun & Company へ改称、同年『ダン・ブック』刊行/1933年3月 合併、主導はアーサー・ホワイトサイド)
- Dun & Bradstreet, Factsheet D-U-N-S Number(1963年に導入された9桁の識別番号)
- Data Universal Numbering System(9桁の構成、2006年12月ごろまでのモジュラス10チェックディジットとその廃止により利用可能な番号が8億増加、データベースは3億件超、FARに基づく2003年10月から2022年4月までの連邦調達での要求、欧州委員会・国連・豪州政府機関での利用、50を超える業界団体による認知)
- U.S. General Services Administration, SAM.gov の Unique Entity Identifier への移行(2022年4月4日)およびその理由についての説明
- 東京商工リサーチ「創業のあゆみ」「会社概要」(1892年 商工社として創業/1933年5月 株式会社東京商工興信所/1974年 現商号へ変更/1994年 D&Bと業務提携/1996年 自社コードとD-U-N-S番号の紐付け開始/2012年 日本で唯一のD&B製品提供者に)