関税法第67条とは|申告し、検査を経て、許可を受ける——一文の条文ができるまで
輸出も輸入も、根拠はこの一文である。1859年の運上所から、1872年の「税関」への呼称統一、明治32年の関税法、そして1954年の全文改正まで。国会での提案理由は「従来行政慣例または解釈にゆだねられていた点を成文化する」と述べていた。許可が貨物の何を切り替えているのか、税額を計算する人が1966年に入れ替わった話、そして「検査を経て」に例外ができた1996年まで。
2024年10月28日公開 / 2026年9月 全面改稿
関税法第67条は、一文しかない。
貨物を輸出し、又は輸入しようとする者は、政令で定めるところにより、当該貨物の品名並びに数量及び価格(輸入貨物(特例申告貨物を除く。)については、課税標準となるべき数量及び価格)その他必要な事項を税関長に申告し、貨物につき必要な検査を経て、その許可を受けなければならない。
見出しは「輸出又は輸入の許可」。日本から出ていくものも、日本へ入ってくるものも、同じ一文が根拠になっている。
申告し、検査を経て、許可を受ける。 この三段の並びが条文になったのは1954年である。それ以前、同じことは条文ではなく行政の慣例と解釈で回っていた。
目次
- 1859年、運上所
- 1872年11月28日、名前が「税関」に統一された
- 明治32年の関税法
- 1954年、「行政慣例または解釈にゆだねられていた点を成文化する」
- 同じ法案で片づけられたもの
- 許可は、貨物の身分を切り替えている
- 1966年3月31日、同じ日に二本
- 「検査を経て」に例外ができた
- 申告する先が自由になった
- 許可は処分である
- 三段の並びは、どこから来たのか
1859年、運上所
税関の前身は運上所という。
安政6年(1859年)、長崎、神奈川、箱館の港に置かれた。輸出入貨物の監督と税の徴収——運上の業務——に加えて、外交事務も扱っていた。開港場ごとに順次設けられ、兵庫(神戸)、川口(大阪)、新潟、江戸にも置かれていく。
この時期の日本の関税は、自分で決められるものではなかった。税関自身が年表の冒頭でこう要約している。
明治初期の外国との修好通商条約の締結により、関税自主権を喪失するなど我が国は関税政策において大きな制約を受けました
明治後期の関税自主権の回復により関税収入の確保及び海外貿易における我が国の産業保護が可能となりました
税率を決める権限がない状態で、港での手続だけが先に存在していたことになる。
1872年11月28日、名前が「税関」に統一された
運上所は、港ごとに呼び方がばらばらだった。
明治5年11月28日(1872年)、呼称が「税関」に統一される。税関が正式に発足した日とされているのはこの日である。当時の布告の文面が税関の年表に引かれていて、こうある。
従前開港場各港運上所ノ儀ハ称呼区々或ハ税関或ハ運上所ト唱ヘ不致一定不都合ニ付今後
港によって「税関」と呼んだり「運上所」と呼んだりしていて一定しない、それは不都合だから、と。
名前を揃えるところから始まっている。
明治32年の関税法
法律としての関税法ができるのは、明治32年(1899年)である。
この事実は、55年後の国会で確認できる。1954年3月3日、衆議院大蔵委員会。大蔵政務次官の植木庚子郎が、新しい関税法案の提案理由を説明している。
まず第一に、現行関税法は、明治三十二年に制定されたものであり、最近の法制の見地から見ると、用語等において適切ではないものがあると認められますので、その全文を改正して
「現行関税法は、明治三十二年に制定されたもの」。つまり1954年の時点で、日本の税関の根拠法は半世紀以上前のものだった。
1954年、「行政慣例または解釈にゆだねられていた点を成文化する」
同じ説明の続きに、この記事の核心がある。
その全文を改正して、保税倉庫法及び保税工場法を関税法に統合し、官設保税倉庫の規定を廃止するほか、従来行政慣例または解釈にゆだねられていた点を成文化する等、法の近代化の見地から規定を整備いたしました。
従来、行政慣例または解釈にゆだねられていた点を成文化する。
法律が先にあって、実務がそれに従っていたのではない。港では長年、現場の慣例と役所の解釈で手続が回っていた。1954年の全文改正は、その回り方を文章に起こす作業だった。
条文の順番も、その性格を映している。第67条は「第六章 通関」の「第一節 総則」の先頭に置かれ、輸出と輸入をまとめて一文で扱っている。手続の全体をまず一文で言い切り、細目を後ろの条文に譲る、という書き方である。
法律案はこうして成立した。関税法、昭和29年4月2日法律第61号。 いま使われている関税法はこれである。
同じ法案で片づけられたもの
1954年の提案理由には、ついでに処理された事項が並んでいる。当時の税関が何を抱えていたかが分かる。
保税倉庫法と保税工場法を関税法に統合し、官設保税倉庫の規定を廃止する。保税地域における貨物の保管規則、保管料についての監督規定、保税倉庫の許可を受けた者の担保提供義務——これらを廃止して、倉庫業者等の負担を軽減する。
外国貿易船と外国貿易機の入港手続を簡素化し、輸入手続の際の提出書類をできるだけ少なくする。
私権尊重の見地から、税関の行政処分に対する救済制度の適用範囲を広げる。
そして、罰則の整理と並んで一行。
いわゆる第三者通報制度を廃止することといたしました。
密輸などを通報した第三者に報償を与える制度である。1954年の法改正で廃止された。同じ国会に出ていた所得税法と法人税法の改正案にも、同じく第三者通報制度の廃止が入っている。
最後に、港の追加もある。
最近の貿易実績等にかんがみ、千葉港、油津港、松山港等七港を開港として別表に追加するとともに、すでに法律上開港としての存続資格を欠いている両津港を別表から整理することといたしました。
開港の一覧が法律の別表になっていて、貿易の実績に応じて出入りする。関税法は、こういう地理の表も抱えている。
許可は、貨物の身分を切り替えている
第67条の「許可」が何をしているのかは、定義の条文を読むと分かる。関税法第2条である。
「輸出」とは、内国貨物を外国に向けて送り出すことをいう。
「外国貨物」とは、輸出の許可を受けた貨物及び外国から本邦に到着した貨物(外国の船舶により公海で採捕された水産物を含む。)で輸入が許可される前のものをいう。
「内国貨物」とは、本邦にある貨物で外国貨物でないもの及び本邦の船舶により公海で採捕された水産物をいう。
並べると、こうなる。
輸出の許可を受けた瞬間、その貨物は外国貨物になる。 まだ日本の岸壁に置かれていても、船に積む前でも、法律上はもう外国の貨物である。
輸入が許可された瞬間、外国貨物は内国貨物になる。 到着してから許可までの間、その貨物は日本の領域内にありながら外国貨物のままである。
許可は、貨物の法的な身分を切り替えるスイッチとして置かれている。だから保税地域という仕組みが要る。外国貨物のまま置いておける場所がなければ、到着した貨物の行き場がないからだ。1954年に保税倉庫法と保税工場法が関税法へ統合されたのは、この二つが同じ仕組みの表と裏だったからである。
1966年3月31日、同じ日に二本
第67条の条文はほとんど変わっていない。変わったのは、その申告に何を書くかのほうである。
1966年3月31日、二つの法律が同じ日に公布されている。
ひとつは関税定率法の一部を改正する法律(昭和41年法律第37号)。別表をブラッセル関税品目分類表に合わせて全面的に改正したものである。品目の分類表が丸ごと入れ替わった。
もうひとつが関税法等の一部を改正する法律(昭和41年法律第36号)。こちらは関税法に第6条の2を新設した。
関税額の確定については、次の各号の区分に応じ、当該各号に掲げる方式が適用されるものとする。
一 次号に掲げる関税以外の関税 納付すべき税額又は当該税額がないことが納税義務者のする申告により確定することを原則とし、(中略)当該税額が税関長の調査したところと異なる場合に限り、税関長の処分により確定する方式(以下「申告納税方式」という。)
二 次に掲げる関税 納付すべき税額がもつぱら税関長の処分により確定する方式(以下「賦課課税方式」という。)
税額を計算するのが、税関から納税義務者に移った。 財務省の資料は、かつてはすべての輸入貨物が賦課課税方式だったが、昭和41年に一般貨物が申告納税方式に変更された、と整理している。
同じ法律は、第6条の文言も書き換えている。関税を納める義務を負う者について、「輸入申告をした者から徴収する」を「貨物を輸入する者が、これを納める義務がある」に改めた。申告した人ではなく、輸入する人が納税義務者である、と定義し直したことになる。
分類表が入れ替わり、税額を計算する主体が入れ替わる。この二つが同じ日に公布されている。第67条の「申告」という一語が背負う中身は、この日を境にかなり重くなった。
翌1967年には通関業法が制定され、1968年には輸入貨物の事後調査制度が導入されている。自分で計算して申告する制度にしたなら、後から確かめる仕組みと、申告を代行する職業の規律が要る。三年がかりで一式が揃った。
「検査を経て」に例外ができた
条文には「貨物につき必要な検査を経て」と書いてある。
税関の年表によれば、1996年に到着即時輸入許可制度が導入された。 検査が行われない貨物については、到着後、輸入申告が行われ次第、直ちに輸入許可が出る。
条文の「必要な検査」の「必要な」が効いている場面である。全量を見るという前提を法律が置いていないから、見ないと決めたものは即座に通せる。
その前提には、申告の電子化がある。航空貨物のAir-NACCSが1978年、海上貨物のSea-NACCSが1991年に稼働した。紙を窓口へ持っていって順番を待つ手続ではなくなっていたからこそ、「到着即時」という言葉が成立した。
申告する先が自由になった
もうひとつ、条文の前提が動いた例がある。第67条の2は、申告先の税関長をこう定めている。
輸出申告又は輸入申告は、輸出又は輸入の許可を受けるためにその申告に係る貨物を入れる保税地域等(中略)の所在地を所轄する税関長に対してしなければならない。
貨物が置いてある場所を管轄する税関長に申告する。これが原則である。貨物を見ることが前提の制度なのだから、貨物の近くの役所に出すのは理屈が通っている。
2017年10月8日、この原則に例外ができた。 AEO制度の認定を受けた事業者——特定輸出者、特例輸入者、特定通関業者——については、貨物が置かれている場所にかかわらず、いずれかの税関官署の長に対して申告できるようになった。輸出入申告官署の自由化と呼ばれている。
事前に審査を受けて認定された事業者に限る、という形である。貨物の近くに出すという原則そのものは残っていて、認定という別の担保があるときだけ外れる。
許可は処分である
第67条の許可は、行政処分である。だから不服を申し立てる先が法律に用意されている。
関税法第89条。
この法律又は他の関税に関する法律の規定による税関長の処分に不服がある者は、再調査の請求をすることができる。
輸出入の許可書に「この申告に基づく処分について不服があるときは」という注記が印刷されているのは、この条文があるからである。税関長への再調査の請求か、財務大臣への審査請求か。処分を知った日の翌日から3か月という期間も法律で決まっている。
1954年の提案理由が「私権尊重の見地より、税関の行政処分に対する行政上の救済制度の適用の範囲を拡張する」と述べていたのは、この系統の話である。港の手続を成文化するということは、同時に、その手続に不服を言う筋道を用意するということでもあった。
三段の並びは、どこから来たのか
申告し、検査を経て、許可を受ける。
この三段は、法律が机の上で設計したものではない。1859年に運上所ができ、港ごとにばらばらの呼称で回っていた手続が、1872年に名前を揃え、明治32年に法律の形になり、そのあと半世紀、条文に書かれないまま慣例と解釈で運用された。1954年の全文改正が「従来行政慣例または解釈にゆだねられていた点を成文化する」と述べたのは、そういう意味である。
条文になったあとも、中身は動き続けている。1966年に税額を計算する主体が移り、1978年と1991年に申告が電子になり、1996年に検査を経ない類型ができ、2017年に申告先の縛りが認定事業者について外れた。
条文の文字はほとんど変わっていない。「申告し」「検査を経て」「許可を受ける」という三語のそれぞれが、中身を入れ替えながら同じ位置に立ち続けている。
参照
- 関税法(昭和29年4月2日法律第61号)第2条、第6条の2、第7条、第67条、第67条の2、第89条
- 第19回国会 衆議院大蔵委員会 1954年3月3日 大蔵政務次官 植木庚子郎 提案理由説明(現行関税法は明治32年制定/全文改正/保税倉庫法・保税工場法の統合/行政慣例または解釈にゆだねられていた点の成文化/入港手続と提出書類の簡素化/行政上の救済制度の適用範囲の拡張/第三者通報制度の廃止/千葉港・油津港・松山港等7港の開港追加と両津港の整理)
- 関税法等の一部を改正する法律(昭和41年法律第36号、1966年3月31日)第6条の2の新設、第6条の改正
- 関税定率法の一部を改正する法律(昭和41年法律第37号、1966年3月31日)別表の全面改正
- 財務省 関税・外国為替等審議会 関税分科会 資料(2025年10月17日)「かつてはすべての輸入貨物が賦課課税方式であったが、昭和41(1966)年に一般貨物が申告納税方式に変更された」/1967年 通関業法制定/1968年 事後調査制度導入
- 税関「税関の歴史」および年表(1859年 長崎・神奈川・箱館に運上所/明治5年11月28日「税関」に呼称統一/明治初期の関税自主権喪失と明治後期の回復/1978年 Air-NACCS/1991年 Sea-NACCS/1996年 到着即時輸入許可制度)
- 税関「輸出入申告官署の自由化について」(2017年10月8日実施。特定輸出者・特例輸入者・特定通関業者はいずれかの税関官署の長に申告可能)