該非判定とパラメーターシートとは|1981年の虚偽申請から、判定が輸出者の仕事になるまで
1981年8月、九軸同時制御の工作機械を「二軸」と書いた申請書で、通産省から非該当証明が出た。1987年にそれが発覚し、法律が変わり、社長も会長も辞めた。「コンプライアンス・プログラム」が日本の輸出管理に根づくきっかけになったのも、この事件である。ココムの終わりとワッセナー体制、法律の名前から「管理」が消えた年、そしてリストに載っていないものまで対象になった2002年まで。
2023年10月29日公開 / 2026年10月 全面改稿・2本を統合
該非判定とは、輸出しようとする貨物や技術が、法令の規制対象に該当するか非該当かを判定することをいう。「該非」はその二文字を取ったものである。
この判定を、いまは経済産業省がやらない。輸出者が自分の責任で行う。
昔からそうだったわけではない。1981年の時点では、通産省が「非該当証明」を発行していた。そして1987年、その証明が虚偽の申請で取られていたことが分かる。事件の名前は東芝機械ココム違反事件という。東芝機械は2020年に社名を芝浦機械に改めており、いまは東芝グループを離れている。
目次
- 1981年8月、二軸と書かれた申請書
- 1985年12月、一通の投書
- 1986年3月、「明白な根拠は見出されなかった」
- 1987年5月15日、処分
- 1987年8月21日、法律が変わった
- 「コンプライアンス・プログラム」という言葉
- ココムとは何だったのか
- 1994年に終わり、1996年に別のものが始まった
- 法律の名前から「管理」が消えた
- 2002年、リストに載っていないものが対象になった
- いま、誰が判定するのか
- パラメーターシートとは何か
1981年8月、二軸と書かれた申請書
経過は国会の答弁に残っている。1987年9月3日、参議院商工委員会。通商産業省貿易局長の畠山襄が、時系列を通して説明している。
五十六年の四月に東芝機械が和光交易の仲介で、そして伊藤忠と一緒になって輸出契約を締結したということ、これは後からわかったわけでございますけれども、そういうことになっております。
昭和56年、1981年4月である。そして次の段落が、この記事の主題そのものになる。
それで、それに基づきまして五十六年の八月に虚偽の申請をいたしまして、虚偽の申請といいますのは、本来九軸同時制御の工作機械であったわけでございますが、これを二軸しか同時制御ではないというふうに記載をいたしました申請書で、非該当証明を通産省から取得をいたしたわけでございます。
九軸同時制御の工作機械を、二軸だと書いた。 それで非該当証明が出た。機械は1983年にかけてソ連へ出ていく。
同じ手口がもう一度使われている。1983年4月に五軸機の契約が結ばれ、同年9月に同様に非該当証明が取得された。さらに1984年6月、プロペラ加工に関するプログラムが無許可でソ連へ渡っている。
軸の数がなぜ問題なのか。同時に制御できる軸が多いほど、複雑な三次元形状を精密に削れる。スクリュープロペラの加工がそれにあたる。
1985年12月、一通の投書
発覚の経緯も答弁に出てくる。
六十年の十二月に、そのわかる契機となりました元和光交易の社員(中略)、これがココム議長に密告といいますか、投書といいますか、そういうことをいたしました。
仲介に入っていた商社の元社員が、ココムの議長に手紙を書いた。それが外務省へ、外務省から通産省へ公電で伝わる。外務省が主宰する関係五省庁連絡会——外務、通産、警察、法務、大蔵——にその状況が報告された。
通産省は伊藤忠と東芝機械の担当部長らから、十回にわたって事情を聴いている。
1986年3月、「明白な根拠は見出されなかった」
聴取に対して東芝機械が主張したのは、三点だった。
機械本体は九軸あるが、同時に制御できるのは二軸でしかない。付属する数値制御装置はノルウェーの会社から供給されたもので、二軸用でしかないという同社の証明書がある。そして1984年に出したプログラムも、同時二軸用である。
通産省は試験所に検査を依頼するなどしたが、答弁によれば結論はこうなった。
輸出令に違反するものであるという確証を得られませんものでしたから、六十一年の三月になりまして、関係五省庁連絡会におきまして不正輸出の疑いの明白な根拠は見出されなかった旨報告をいたしたわけでございます。
1986年3月の結論は、違反の確証なしだった。その結論が外務省からココム議長に伝えられた。
同年6月、米国から同じ照会が来る。通産省は、すでに十回の聴取をして調査結果があると回答した。
動いたのはそこからである。1986年12月、米国側が「安全保障上重大な懸念がある」と指摘してくる。通産省は、投書以外に材料があるのかを1987年1月から2月にかけて問い合わせた。3月に資料が届き、本格的な調査が3月末から4月初めにかけて始まる。
投書から本格調査まで、1年4か月かかっている。
1987年5月15日、処分
調査の結果、行政処分が下る。1987年8月25日、衆議院商工委員会での通商産業省機械情報産業局長 児玉幸治の答弁。
東芝機械でございますが、これは先生御承知のように、五月の十五日に対共産圏向けにつきましては全品目一年間輸出禁止の処分をいたしたわけでございます。
共産圏向けの全品目、一年間の輸出禁止。 この時点で4件、2億2,000万円分のキャンセルが出ていた。
契約に署名していた伊藤忠には、3か月間、共産圏向け工作機械の輸出を行政指導で止めさせている。答弁によれば、伊藤忠が事情を知って関与したという確証は得られず、捜査当局も送検に至らなかった。
人の側の処分も答弁に並んでいる。東芝機械では5月15日に社長、5月28日に常勤監査役、6月26日に取締役2名が引責辞任し、7月30日にも解雇1名を含む処罰が行われた。
そして親会社である。
東芝は、御案内のように東芝機械に対しまして五〇%ちょっとの株を保有いたしておりまして、親子関係にあるわけでございますけれども、本件事件には東芝としては実は全く関与してないことがこれまでの調査で明らかになっておるわけでございます。しかしながら、親会社としての責任を明らかにするという立場から、七月一日に東芝の会長、社長が辞職をいたしました。
関与していないと調査で確認された親会社の会長と社長が、それでも辞めている。
1987年8月21日、法律が変わった
事件は法律を動かした。1987年8月21日、衆議院商工委員会。通商産業大臣 田村元の提案理由説明である。
今回の東芝機械の外国為替及び外国貿易管理法に違反した不正輸出事件は、我が国を含む西側自由主義陣営の安全保障に重大な影響を及ぼすおそれのあるものであり、極めて深刻な問題であります。これにより、我が国の国際的信用が著しく損なわれたことは、まことに残念というほかありません。
法律の改正理由として、一社の一件の輸出が名指しされている。
改正の中身は罰則と制裁の強化だった。
無許可で特定の技術を特定の地域において提供する取引を行った者及び無許可で特定の貨物を特定の地域に向けて輸出した者は、五年以下の懲役または二百万円以下もしくは目的物の価格の五倍以下の罰金に処することとして、罰則を強化することとしております。
目的物の価格の5倍以下の罰金。 定額の上限だけでは、高額な機械を売った利益に見合わないという発想である。あわせて未遂も処罰の対象になり、罰則強化の結果として時効が5年に延びた。
行政制裁も強化された。通商産業大臣は、無許可で輸出した者に対して3年以内の期間を限って輸出や技術提供を禁止できることになった。東芝機械に下された処分が1年だったことを思えば、上限をそこまで引き上げたことになる。
立入検査の対象となる場所に「工場」が追加され、外務大臣と通商産業大臣が互いに意見を述べられる規定も入った。
「コンプライアンス・プログラム」という言葉
再発防止策についての答弁に、いま輸出管理の世界で当たり前に使われている言葉が出てくる。
東芝機械が打ち出したのは四点だった。共産圏向け輸出の担当組織の解散。輸出法務課を設置して、輸出手続のチェックを第三者的な立場から行うこと。社員に対するココム関連法規の教育の定期的な実施。そして、行政処分の期間が終わったあとも、ソ連および東欧圏への輸出を一切打ち切るという方針である。
親会社の東芝についてはこうある。
第四点は、東芝自身で、コンプライアンス・プログラムというふうに申しておりますけれども、ココム規制に関する法令手続遵守プログラムの作成を行っておるところでございます。
1987年の国会答弁で、政府委員が「コンプライアンス・プログラムというふうに申しておりますけれども」と、聞き慣れない外来語に注釈を付けながら説明している。いま輸出管理でCPと略して呼ばれているものが日本の企業に広がっていく、そのきっかけがこの事件だった。
ココムとは何だったのか
事件の名前にあるココム(COCOM)は、対共産圏輸出統制委員会という。西側諸国が、共産圏へ戦略物資を出さないために作った枠組みである。
条約ではない。参加国の申し合わせで、規制品目のリストを共有し、各国がそれぞれの国内法で実施する。日本の場合、それが外為法と輸出貿易管理令だった。だから東芝機械は「ココム違反」で罰せられたのではなく、外為法違反で罰せられている。ココムという国際的な枠組みと、それを実施する国内法が二階建てになっていて、罰するのは常に国内法の側である。
この二階建ては、いまも同じ形で続いている。
1994年に終わり、1996年に別のものが始まった
冷戦が終わると、ココムは役目を終える。1994年3月に廃止された。
後継の協議は2年半ほど続き、1995年、オランダのワッセナー市で新しい体制の設立に合意する。1996年7月の設立総会をもって、通常兵器及び関連汎用品・技術の輸出管理に関するワッセナー・アレンジメントが正式に発足した。同年11月から運用が始まっている。
ココムと同じく、条約ではない。参加国の申し合わせである。
性格は変わった。ココムは規制の対象を旧共産圏に限定していたが、ワッセナー・アレンジメントは国や地域を絞らない。すべての国、地域、そして国家ではない主体も視野に入れている。ロシアも参加国に入った。
相手国を特定して物を止める仕組みから、物の性能を特定して行き先を問う仕組みへ。リストの作り方が変わったわけである。
法律の名前から「管理」が消えた
1997年、外為法が改正される。平成9年法律第59号。施行は1998年4月1日。
このとき、法律の名前から二文字が消えた。外国為替及び外国貿易管理法から、外国為替及び外国貿易法へ。「管理」が取れている。日本版金融ビッグバンの一環で、外国為替取引を原則自由にする大幅な規制緩和だった。
ただし、安全保障に関わる輸出の部分は自由化されていない。名前から「管理」が消えた法律の中で、第48条以下の輸出許可の規定は残り続けている。
2002年、リストに載っていないものが対象になった
規制の作り方がもう一段変わる。
それまでの規制は、輸出貿易管理令の別表第1に並んだ品目に当たるかどうかで決まっていた。リスト規制である。同表の1項から15項までがそれにあたる。
2002年4月、大量破壊兵器等に対応するキャッチオール規制が施行された。 別表第1の16項という受け皿が置かれ、リストに載っていない貨物でも、用途や需要者によっては許可が要ることになった。2008年11月には、通常兵器に対応する部分も導入されている。
大量破壊兵器等のキャッチオール規制では、判断の入口が三つある。その貨物が大量破壊兵器等の開発に用いられるおそれがあるか(用途要件)。輸入者がそうした開発を行っているか、あるいは経済産業省の外国ユーザーリストに載っているか(需要者要件)。そして、経済産業省から許可を受けるべき旨の通知を受けた場合(インフォーム要件)。
輸出令別表第3に掲げる国、いわゆるグループA(旧ホワイト国)向けの輸出は、キャッチオール規制の外に置かれていた。
リストを見て終わり、ではなくなった。1981年に「二軸だと書けば通る」という世界だったものが、二十年かけて、書いてある数値だけでは決まらない仕組みに変わっている。
通常兵器の部分は、2025年10月9日に見直された。別表第1の16項が特定品目の(1)とそれ以外の(2)に分けられ、通常兵器についての用途要件と需要者要件の対象が広がっている。それまでキャッチオール規制の対象外だったグループA国向けの輸出にも、インフォーム要件が加わった。
いま、誰が判定するのか
ここまで来て、冒頭の話に戻る。
該非判定は経済産業省では行わない。輸出者が責任をもって行う。
輸出者が自分で判断できない場合、製造者などから該非判定書を入手して使うことはできる。ただしその場合も、輸出者が判定結果を確認し、輸出者が責任をもって判定した結果として扱うことになっている。
判定の根拠になる規定は三つの層に分かれている。外国為替及び外国貿易法。その下の輸出貿易管理令、通称輸出令の別表第1。そしてさらに細かい数値を定める「輸出貿易管理令別表第一及び外国為替令別表の規定に基づき貨物又は技術を定める省令」、通称 貨物等省令である。
1981年に通産省が出していた非該当証明は、いまは輸出者や製造者が自ら作る書面になっている。税関から該非判定を適切に行っているかを問われることがあるため、非該当であることを示す書面を用意しておくよう、経済産業省の資料も案内している。
証明する主体が、国から事業者へ移っている。
パラメーターシートとは何か
最後に、この記事のもうひとつの題である。
該非判定書に決まった書式はない。製品の名称や型式で対象を特定し、該当する項番、判定の結果、判定の根拠を明らかにし、判定日を記載する——それが備わっていればよい、とされている。判定日が要るのは、法令改正に対応した判定かどうかを後から見分けるためである。
自分で一から作ることもできるが、様式が用意されている。経済産業省の安全保障貿易管理ガイダンス[入門編]の別添の帳票、そして一般財団法人 安全保障貿易情報センター(CISTEC)が発行する項目別対比表とパラメーターシートである。
パラメーターシートは、規制の条文に書かれた数値の条件を項目ごとに並べ、自社の製品の値を書き込んで突き合わせるための様式だ。条文を読み下して比較する作業を、表の形に落としたものである。
輸出の場面で「パラメーターシートを出してください」と言われたときに求められているのは、この様式である。
一枚の様式の背後にあるのは、九軸を二軸と書いた申請書と、そこから四十年かけて組み直された仕組みである。
参照
- 第109回国会 参議院商工委員会 1987年9月3日 通商産業省貿易局長 畠山襄 答弁(1981年4月の契約、同年8月の虚偽申請と非該当証明の取得、1983年の五軸機、1984年6月のプログラム、1985年12月の投書、1986年3月の「明白な根拠は見出されなかった」、米側の指摘と1987年の本格調査)
- 第109回国会 衆議院商工委員会 1987年8月25日 通商産業省機械情報産業局長 児玉幸治 答弁(1987年5月15日の対共産圏向け全品目1年間輸出禁止処分、2億2,000万円のキャンセル、伊藤忠への3か月の行政指導、役員の引責辞任、再発防止四点、東芝の会長・社長の7月1日辞職、コンプライアンス・プログラムの作成)
- 第109回国会 衆議院商工委員会 1987年8月21日/参議院商工委員会 1987年9月1日 通商産業大臣 田村元 提案理由説明(外国為替及び外国貿易管理法の一部を改正する法律案。5年以下の懲役または200万円以下もしくは目的物の価格の5倍以下の罰金、3年以内の輸出禁止、未遂罪、時効5年、工場への立入、外務大臣との意見)
- 外国為替及び外国貿易法(昭和24年法律第228号)/平成9年法律第59号による改正(1998年4月1日施行、題名から「管理」を削除)
- 輸出貿易管理令 別表第1(1項から15項のリスト規制、16項のキャッチオール規制)/貨物等省令
- ワッセナー・アレンジメント(ココムは1994年3月に廃止。1995年にオランダ・ワッセナーで設立合意、1996年7月の設立総会で発足、同年11月に運用開始。対象を国・地域で限定しない)
- ジェトロ「輸出における安全保障貿易管理の規制品目・内容に対する該非の確認方法:日本」(該非判定は経済産業省では行わず輸出者の責任。製造者の該非判定書を用いる場合も輸出者が確認し責任を負う。CISTECの項目別対比表・パラメーターシートの利用)
- ジェトロ「安全保障貿易管理におけるキャッチオール規制:日本」(大量破壊兵器等対応は2002年4月施行、通常兵器対応は2008年11月導入。用途要件・需要者要件・インフォーム要件、外国ユーザーリスト)
- 経済産業省「補完的輸出規制の見直しについて(2025年10月9日施行)」(2025年4月9日公布。16項を特定品目の(1)とそれ以外の(2)に区分し通常兵器の客観要件の対象を拡大、グループA国向けにインフォーム要件を追加)
- 経済産業省「非該当証明書発行に当たってのポイント」(税関等から該非判定を適切に行っているかを問われる場合があること)