保税展示場はなぜ生まれたのか——万博に備えて、会場を「外国」にした制度
1967年、日本は万国博覧会の開催に備えて保税展示場という制度を新設した。それまで国際見本市は倉庫の制度を流用していた。国会の記録から創設の理由をたどり、1973年の要件緩和を経て、東京モーターショーや横浜のアートフェア、そして88万平方メートルを3年間許可された大阪・関西万博まで、この制度がどこへ広がったかを追う。
2024年5月23日公開 / 2026年9月 全面改稿
展示会の会場が保税展示場の許可を受けていると、海外から届いた展示品は、関税を納めないまま会場に並ぶ。輸入されていない貨物、つまり外国貨物のままで、開梱され、組み立てられ、電源が入り、来場者の前で動く。
法律の言葉でいえば、その会場は保税地域である。日本の中にありながら、関税の手続きの上ではまだ日本に入っていない場所だ。
この制度には、作られた年と、作られた理由がある。1967年、日本で最初の万国博覧会を3年後に控えた国会で、それは決まった。
目次
- 「借庫」から始まる系譜
- 1967年、万博に備えて
- それまでは、倉庫の制度で展示していた
- 同じ法律で決まった、他のこと
- 千里丘陵は、保税地域になっていた
- 期間だけが、決まっていない
- 通関士の教科書で読むと
- 1973年、二つの整備
- 1974年、大阪の中国博覧会
- 万博から見本市へ、そしてアートフェアへ
- 許可を取るのは、荷主ではない
「借庫」から始まる系譜
保税地域という考え方は、開国と同時に日本へ入ってきた。
貿易を始めた当初、開港に入った船には運上所の役人が乗り込み、運上金——今の関税に相当するもの——を納めるまで、貨物は船から降ろせなかった。運上所は1859年(安政6年)に横浜や長崎などへ置かれた税関の前身で、税関という呼称に変わるのは1872年(明治5年)である。
貿易が拡大し、輸入貨物が増えると、諸外国から要請が来る。運上金を納める前の貨物も陸揚げさせてほしい、と。これに応えて設けられた官設の貨物施設が「借庫」だった。1866年(慶応2年)に英国・フランス・米国・オランダの4か国と結ばれた改税約書を受けて、同じ年に借庫規則が定められている。これが現在の保税地域の始祖である。
そこから先は、機能ごとに枝分かれしていく。
1897年(明治30年)の保税倉庫法で、官設と私設の保税倉庫が並存する形になった。一方、陸揚げした貨物の改装や仕分けは借庫では認められていなかったため、その作業のために別に設けられたのが「税関仮置場」である。1900年(明治33年)の税関仮置場法によるもので、これが1912年(明治45年)の仮置場法を経て、1927年(昭和2年)に保税工場法となり、現在の保税工場へつながる。
興味深いのは、1899年(明治32年)に制定された旧関税法には、保税制度に関する規定がなかったことだ。保税地域は関税法とは別の法体系として発展し、保税倉庫法と保税工場法は、1954年(昭和29年)に現行の関税法が生まれたときにそこへ吸収された。
蔵置する場所、加工する場所。この二系統が、戦後の関税法に引き継がれた保税地域である。
展示するための場所は、まだなかった。
1967年、万博に備えて
1967年(昭和42年)4月19日、衆議院大蔵委員会で「関税定率法等の一部を改正する法律案」の提案理由が説明された。大蔵政務次官の小沢辰男は、改正の必要を列挙したなかでこう述べている。
さらに万国博覧会の開催に備えて保税展示場制度を新設するほか、開港の追加、関税罰則の合理化をはかる等のため……
日本万国博覧会の開幕は1970年3月15日。この時点でほぼ3年前である。
5月18日の衆議院本会議で審査結果を報告した内田常雄も、改正の第四点として同じ趣旨を挙げている。
万国博覧会の開催に備え、わが国で開催される国際博覧会、国際見本市等のため一時輸入される外国貨物について、保税展示場の制度を新たに設けること。
制度の名前は一般的だが、動機は特定の催事だった。日本で初めて万博を開くにあたって、それを開けるだけの制度が国内になかった、ということである。
それまでは、倉庫の制度で展示していた
では、それまで国際見本市はどうしていたのか。
5月25日の参議院大蔵委員会で、柴谷要がまさにそれを質した。「近く日本で万国博覧会が開かれることになりますが、これに対して保税展示場制度といいますか、これに対して何か特定な便宜を与える制度が考えられているようですが、一体どういうことなのか」。
答えたのは大蔵省関税局長の谷川宏である。
従来は国際見本市等が行なわれます場合におきましては、現行法のたてまえで、たとえば国際見本市に商品等を輸入いたしましてそこで展示をするという場合に、そういう商品は原則として、またその商品を持ってきた国に持ち返るのが通例でございまするので、日本に入ってまいります場合に関税を払うことなしに見本市に展示し、これを持ち返るという必要があったのでございますが、その場合に、現行法におきましては、保税倉庫という制度を利用してやっておったわけでございますが、保税倉庫の制度を利用いたします場合におきましても、いろいろな手続の規定が必要であったわけでございます。
つまり、展示のための制度がなかったので、倉庫の制度で展示していた。
保税倉庫は貨物を蔵置する場所であって、開梱して並べて動かす場所ではない。それでも関税を払わずに展示して持ち帰るには、ほかに使える器がなかった。そのつじつまを合わせるために手続の規定が積み重なり、谷川の言葉では「非常に不便な点もございました」。
そして、この制度設計にあたって外国が参照されている。
外国等におきましても、この種の施設が行なわれます場合におきましては、同様の関税の免税の措置を講じておりますので、そういう点をいろいろ研究いたしまして、国際見本市あるいは万国博覧会の施設に持ち込みますいろいろなものにつきましては、この保税展示場という制度が一番よろしかろうということで……
各国はすでに同種の免税措置を持っていた。日本はそれを研究して、蔵置でも加工でもない第三の保税地域という形を選んだ。
谷川はさらに、この制度が万博限りのものではないことを明言している。「万国博覧会の場合だけでなくて、万国博覧会と同じように、国際見本市等その他これに類するものにこの保税展示場、この制度を利用できるようにいたしております」。主眼は万博、しかし器は見本市にも使えるように作った、ということである。
同じ法律で決まった、他のこと
この改正は保税展示場だけの法律ではない。同じ一本の中で決まったことを並べると、1967年という年の空気がよく出る。
- 実行税率の変更が48品目、暫定税率の適用期限延長が94品目
- 入国者の携帯品について、関税と内国消費税を統合した簡易税率を新設(通関の迅速化のため)
- 開港の追加指定——大船渡、石巻、日立、阪南、伊万里の5港
- 博覧会の観覧者に無償で配布される見本品や記念品、博覧会の建設資材等の免税規定
- 関税罰則の合理化
万博がらみは保税展示場だけではなかった。会場で配るパンフレットや記念品、そして会場そのものを建てる資材までが、免税の対象として同時に整備されている。
そしてこの法律案の審議で最も時間を取ったのは、保税展示場ではなかった。バナナである。
現行70パーセントのバナナ関税を2年ほどかけて10パーセント引き下げる案が含まれており、国内の果樹への影響と、末端価格が本当に下がるのかをめぐって審議は集中した。5月17日、日本社会党を代表して反対意見を述べた平林剛は、改正内容そのものについてはこう言っている。
私どもといたしましても、大綱については特段の異論はないのでございます。それにもかかわらずこの法律案に反対をせねばならぬという理由は、私どもの重大な関心がバナナの関税率の引き下げにあったからでございます。
参議院では附帯決議にもバナナが入った。日本の展示会物流を支える制度は、バナナの陰でほとんど議論されずに成立したことになる。
もうひとつ、地味だが象徴的な改正が同じ国会で行われている。6月15日、衆議院本会議で議題となった大蔵省設置法の一部改正である。
第九条の二第四号中「及び保税工場」を「、保税工場及び保税展示場」に改める。
税関の事務分掌に、保税展示場という語が書き加えられた。制度が一つ増えると、それを扱う役所の条文も一行だけ長くなる。
なお1967年は、税関貨物取扱人法を全面改正して通関業法が制定された年でもある。前年の1966年(昭和41年)には申告納税方式が導入されている。貿易量の急増に、制度の側が追いつこうとしていた時期だった。
千里丘陵は、保税地域になっていた
では、3年後の万博で、この制度は実際に使われたのか。
1968年(昭和43年)9月、参議院建設委員会の委員が大阪府下の万博関連施設を視察している。11月12日の委員会で読まれた報告によれば、千里丘陵の敷地造成はほぼ完成し、幾つかの展示館で基礎工事が始まっていた。
本部ビルは鉄筋の骨組みを見せて、保税倉庫の一棟はでき上がっておりましたが、全般の建築工事が本格化するのはまだこれからという感じでありました。
パビリオンより先に、保税の建物が建っていたことになる。
翌1969年(昭和44年)4月8日、参議院内閣委員会で、外国から来る設備の関税はどうなっているのかと問われた通商産業省企業局参事官の井上保は、博覧会条約を受けて関税定率法と関税法で手当てしていると述べ、カタログやパンフレット、記念品や試食品の免税に続けてこう答えている。
それから会場自身が関税法の保税地域に指定されておりまして、そこへ入ってくるものは無税であります。そこから出る場合には、通常の手続を経て、国内の場合には税金をかけるというようなかっこうで規定をいたしております。
会場そのものが保税地域だった、ということは政府側の答弁で確かめられる。
ただし、答弁は「保税展示場」という語を使っていない。許可の日付や範囲を記した税関側の記録は、今回たどれた範囲では見つからなかった。視察報告にある「保税倉庫」が保税展示場の中の施設だったのか、別に許可された保税倉庫だったのかも、この記録からは分からない。
期間だけが、決まっていない
現在の保税地域は5種類ある。並べると、保税展示場の性格が一目でわかる。
| 種類 | 主な機能 | 蔵置期間 | 設置の手続 |
|---|---|---|---|
| 指定保税地域(第37条) | 積卸し、運搬、一時蔵置 | 1か月 | 財務大臣の指定 |
| 保税蔵置場(第42条) | 積卸し、運搬、蔵置 | 2年(延長可) | 税関長の許可 |
| 保税工場(第56条) | 加工、製造 | 2年(延長可) | 税関長の許可 |
| 保税展示場(第62条の2) | 展示、使用 | 税関長が必要と認める期間 | 税関長の許可 |
| 総合保税地域(第62条の8) | 上記の総合的機能 | 2年(延長可) | 税関長の許可 |
コンテナヤードは1か月、倉庫と工場は2年。数字が入っていないのは保税展示場だけである。
理由は、催事が期間で動くものだからだ。会期に加えて、搬入と設営、そして撤去と搬出がある。税関の運用では、イベントの会期のほか準備と整理を勘案した適当な期間とされ、反復して開催されるイベントであれば1年以内の範囲で包括的に許可期間とすることもできる。
この「必要と認める期間」がどこまで伸びるかは、2025年日本国際博覧会(大阪・関西万博)の例が具体的だ。博覧会協会は2023年3月13日、大阪税関から会場を保税展示場として使用する許可を得ている。面積は88万3,234平方メートル。許可期間は2023年4月1日から2026年4月30日まで。対象は建築資材、内装資材、展示品、展示用具等である。
会期は2025年4月13日から10月13日の半年間だった。その半年のために、3年1か月にわたって会場が保税地域として存在していたことになる。1967年に免税対象へ建設資材が加えられた意味も、この期間の長さを見るとわかる。パビリオンは、外国貨物のまま建つのだ。
次の博覧会も、すでに同じ器に入っている。税関が公表している保税展示場の一覧(2026年7月1日現在)には、横浜の2027年国際園芸博覧会の会場が載っており、許可期間は2026年3月1日から2028年3月31日までとなっている。
通関士の教科書で読むと
通関士試験の科目には関税法が入っている。その勉強で保税地域を学ぶと、5つの種類より先に、「外国貨物」という定義と、一つの条文から入る。
関税法第2条は、「外国貨物」を、外国から本邦に到着した貨物で輸入が許可される前のもの(と、輸出の許可を受けた貨物)と定める。「輸入」とは、それを本邦に引き取ることをいう。港に着いただけでは、まだ輸入ではない。
そして第30条。
外国貨物は、保税地域以外の場所に置くことができない。
難破貨物など条文が挙げる例外を除けば、外国貨物が置ける場所は保税地域しかない。保税地域の種類とは、外国貨物をどんな目的で置いてよいかの一覧だということになる。1967年まで、その一覧に展示はなかった。だから展示品は保税倉庫の制度を借りて置かれ、蔵置のための場所で展示をするために、手続きの規定が積み重なった。
もう一つ、第2条第3項がある。外国貨物が輸入される前に本邦で使用され、または消費された場合には、使用・消費した者がその時に輸入したものとみなす。ただし、保税地域で法律が認めたところに従って使用・消費される場合は除く。
展示品は、会場で開梱され、電源が入り、動く。ふつうに考えれば「使用」である。そして例外に入るのは、「この法律により認められたところに従つて」使用される場合だ。保税展示場の条文(第62条の2第3項)は、その認められる行為として、博覧会等の施設の建設、維持、撤去や運営のための積卸し、運搬、蔵置、手入れと並べて、「展示又は使用」を書き込んでいる。
売った場合も同じ構造で書かれている。第62条の4第2項は、保税展示場内で外国貨物が販売されたときは(政令で定める場合を除き)、その販売を輸入とみなす。会場で売れた展示品は、売れた時点で輸入されたことになる。
最後に第62条の6。許可の期間が満了した時点で保税展示場に残っている外国貨物は、税関長が期間を定めて搬出などを求め、それがされないときは、保税展示場の許可を受けた者から直ちにその関税を徴収する。荷主からではない。
1973年、二つの整備
万博が終わった3年後、制度は一度広げられている。
1973年(昭和48年)の関税定率法等の一部を改正する法律案について、大蔵大臣の愛知揆一が読んだ提案理由には、居住者への贈与品の免税限度額の引き上げや、人工衛星等の免税制度の創設と並んで、こう書かれている。
保税展示場に関する制度の要件の緩和等を行なう
参議院大蔵委員会での補足説明はもう少し踏み込んでいる。「保税展示場制度についての要件を緩和し、この制度の幅広い活用をはかることといたしております」。
万博のために作った制度を、万博以外へ開くという改正である。谷川が1967年に「国際見本市等その他これに類するものにも利用できるように」と説明していた方向へ、実際に一歩進んだことになる。
そして同じ1973年の8月11日、別の法律が公布されている。ATA条約の実施に伴う関税法等の特例に関する法律、昭和48年法律第70号。日本がATAカルネの輪に入った年である。
物品の側から関税を留保する仕組み(カルネ)と、場所の側から関税を留保する仕組み(保税展示場)。一時的に持ち込んで持ち帰る展示品という同じ問題に対する二つの答えが、1973年に揃った。カルネが日本に届くまでの経緯は別の記事で書いた。
1974年、大阪の中国博覧会
制度が広がっていく様子は、翌1974年の国会記録にも顔を出す。
3月8日の衆議院予算委員会第一分科会で、大阪で開催される中国博覧会への物品の搬入について問われた大槻章雄は、大阪税関に照会した結果を報告している。
物品の搬入の通関関係につきましては、保税展示場ということで当該博覧会を催されるという方向で御協議をいただいておりますので、その物品の到着港から展示場への搬入までを一貫して処理できるような、仮通関という便宜な措置で処理をしたいというふうに考えております。
日中の国交が正常化した1972年から2年後の展覧会である。港から会場までを一貫して処理する、という発想がこの時点で語られていることに、制度が実務へ馴染んでいく過程が見える。
万博から見本市へ、そしてアートフェアへ
現在の保税展示場は、博覧会や見本市等において外国貨物を展示・使用する会場として税関長が許可した保税地域と説明されている。開催される催事の側にも要件がある。国際機関、政府、地方公共団体、一般社団法人、一般財団法人、ジェトロ等が開催するもの、またはこれらの者の後援を受けて開催するものに限られる。主催者が民間企業であっても、後援を得れば対象になりうる、ということである。
税関が挙げる例を並べると、この制度が到達した範囲がわかる。
- 大阪・関西万博(開催者は公益社団法人2025年日本国際博覧会協会)
- 東京モーターショー(現 JAPAN MOBILITY SHOW、開催者は一般社団法人日本自動車工業会)
- Tokyo Gendai(主催は The Art Assembly、後援は文化庁・観光庁・横浜市)
3つ目は現代アートのフェアである。2023年7月、パシフィコ横浜で開かれ、世界各地から国際的に評価の高い73の現代アートギャラリーが出展した。
許可は横浜税関から受けており、許可書は2023年5月19日、同税関で共同創設者のマグナス・レンフリューに交付されている。
美術の分野でこの器が使えるようになったのは、法律ではなく通達の改正による。2020年12月1日付および2021年2月26日付の関税法基本通達一部改正で、保税地域におけるアートオークション、ギャラリー、アートフェアの実施が可能になった。
美術品の分野では、保税地域の使い分けが整理されている。国際的なオークションやギャラリーは保税蔵置場、国際的なアートフェアは保税展示場。オークションでは、2021年10月1日、ニューアート・エストウェストオークションズが羽田空港第1ターミナルで日本初の保税アートオークションを開催し、海外の作品を関税等を留保したまま出品した。2022年3月30日には同じ場所で、シンワオークション(旧シンワアートオークション)が主導する国際アライアンス United Asian Auctioneers の共同セールが開かれ、アンディ・ウォーホル《Silver Liz(Ferus Type)》(1963年作)が23億円で落札された。国内オークションの最高額である。落札総額は31億4,572万円で、保税の対象になったのは一部のロットだった。
会場に並ぶ間は外国貨物のままで、売れれば関税等を納めて国内へ引き取られ、売れなければそのまま海外へ戻る。1967年に万国博覧会のために設計された器が、半世紀後に現代アートの取引で使われている。
なお1992年には、蔵置・加工・展示の機能を併せ持つ総合保税地域が導入され、1994年には保税上屋と保税倉庫が統合されて保税蔵置場になった。展示という機能は、その総合保税地域の中にも組み込まれている。
許可を取るのは、荷主ではない
最後に、この制度の位置をはっきりさせておきたい。
保税展示場の許可を受けるのは、会場や催事の側である。大阪・関西万博では博覧会協会が大阪税関から許可を得た。東京モーターショーなら自動車工業会、Tokyo Gendaiなら主催会社が、それぞれ許可を受ける側に立つ。
出展者や荷主が自分の荷物のために許可を取るものではないし、会場が保税展示場かどうかを選べるわけでもない。それは主催者と税関長の間で決まっていて、出展案内や搬入要領に書かれている前提として現れる。
許可の期間が満了したとき会場に残っている外国貨物について、関税を求められるのも、第62条の6のとおり許可を受けた側である。
1866年の借庫から数えて百年、蔵置と加工しかなかった保税地域に、展示という三つ目の機能が加わった。加わった理由は、千里丘陵で3年後に開く催事に間に合わせるためだった。バナナ関税の陰で成立したその一項が、いまは横浜のアートフェアで使われている。
参照
- 国会会議録検索システム(国立国会図書館)
- 第55回国会 衆議院大蔵委員会 1967年4月19日(提案理由説明・小沢辰男大蔵政務次官)
- 第55回国会 衆議院大蔵委員会 1967年5月17日(討論・平林剛委員)
- 第55回国会 衆議院本会議 1967年5月18日(委員会報告・内田常雄)
- 第55回国会 参議院大蔵委員会 1967年5月23日・5月25日(補足説明および質疑・谷川宏大蔵省関税局長)
- 第55回国会 参議院本会議 1967年5月27日(委員会報告・竹中恒夫)
- 第55回国会 衆議院本会議 1967年6月15日(大蔵省設置法の一部を改正する法律案)
- 第71回国会 衆議院大蔵委員会 1973年3月6日・参議院大蔵委員会 1973年3月27日(提案理由および補足説明)
- 第59回国会 参議院建設委員会 閉会後第3号 1968年11月12日(日本万国博覧会関連施設の視察報告・上田稔)
- 第61回国会 参議院内閣委員会 1969年4月8日(万博会場の関税上の取扱い・井上保通商産業省企業局参事官)
- 第72回国会 衆議院予算委員会第一分科会 1974年3月8日(大阪の中国博覧会と保税展示場)
- 関税法(昭和29年法律第61号)第2条・第29条・第30条、第4章第4節 保税展示場(第62条の2〜第62条の7)
- 税関「保税地域一覧」保税展示場(2026年7月1日現在)
- Tokyo Gendai「保税資格取得」プレスリリース(PR TIMES、2023年)
- 名古屋税関「保税制度の概要について」(名古屋税関保税会 秋季保税事務研修会資料、2025年10月)
- 財務省・文化庁「保税地域の活用に関する説明会」資料(2021年5月)
- 公益社団法人2025年日本国際博覧会協会「大阪税関より万博会場の保税展示場許可を取得」(2023年3月28日)
- 財務省関税局 保税アドバイザー「国際的な展示会等における保税制度の活用について」(日本電機工業会『電機』2023年12月号)
- 関税法基本通達一部改正(2020年12月1日付・2021年2月26日付。保税地域におけるアートオークション、ギャラリー、アートフェアの実施)
- 日本関税協会『関税制度の変革』(保税制度の沿革)