星座と航海

このサイトのブログ一覧では、記事ごとに88星座のひとつを割り当てて描いています。このページはその星座の解説です。

星座の多くは古代ギリシャから伝わったものですが、全部ではありません。いまの88星座のうち26は、16世紀末にオランダの船団が南へ向かったときと、18世紀半ばにフランスの天文学者が喜望峰で観測したときに新しく置かれたものです。船そのものの星座もあれば、羅針盤や八分儀のように、航海の道具の名前をもつ星座もあります。

アルゴ座 — 三つに分けられた船

2世紀のプトレマイオスが『アルマゲスト』にまとめた48星座に、アルゴ座という船の星座があります。ギリシャ神話でイアソンたちが金の羊毛を求めて乗った船です。プトレマイオスが挙げた星は45個で、どの星座よりも多いものでした。ただし空にあるのは船の後ろ半分だけで、プトレマイオス自身が「マストより前は切れている」と書いています。

あまりに大きいこの星座を分けたのが、フランスの天文学者ラカイユです。1756年に刊行された南天星表の注で、船をとも(la Pouppe、船尾)、船体(le Corps)、帆(la Voilure)の三つに分けたと書いています。同じときの星図では船はまだ一枚の絵のままでした。三つの部分にラテン語の名前が付いたのは、彼の没後、1763年に出た星表でのことです。これが今のとも座(Puppis)、りゅうこつ座(Carina)、ほ座(Vela)です。

日本語では Carina を「竜骨」と訳していますが、ラカイユの原語は「胴体」を意味する Corps で、表しているのは船の背骨というより船体全体です。

分けたあとも、一隻の船だった名残が星の符号に残っています。α・β・γ…というギリシャ文字は船全体に一続きで振られたため、とも座とほ座には α星も β星もありません。とも座でいちばん明るい星は ζ、ほ座では γ です。

らしんばん座 — 古代の船にはなかった道具

アルゴ座のすぐ隣にあるので、アルゴ座を分けた四つめのように紹介されることがありますが、そうではありません。らしんばん座はラカイユが新しく設けた星座で、彼は星図でも星表でもアルゴ座とは別の星座として扱っています。1756年の星図での名前は la Boussole、注では「海の羅針盤」と説明し、1763年に Pixis Nautica とラテン語にしました。今の Pyxis はこれを縮めたものです。

ただ、この場所の星がアルゴ座と無関係だったわけでもありません。らしんばん座の α・β・γ・δ の4星は、プトレマイオスが「アルゴのマストにある星」として記録していた星です。古代ギリシャでは磁石の羅針盤は知られていなかったので、ラカイユはギリシャの船のマストがあった場所に、その船にはなかった道具を置いたことになります。

1844年にはジョン・ハーシェルが、らしんばん座をやめて Malus(マスト)にしようと提案しました。1845年のベイリーの星表が採用しただけで広まらず、1879年にグールドがラカイユの名前に戻しています。

はちぶんぎ座 — 天の南極がある星座

はちぶんぎ座もラカイユの星座です。1756年の星図での名前は l'Octans de Reflexion で、1730年にジョン・ハドレーが発表した反射式の八分儀を表しています。ラカイユはこれを「天の極の高さを測るための、航海者の主要な器具」と注記しています。極の高さはそのまま、その場所の緯度になるからです。

八分儀の名前は、目盛りの弧が円の8分の1であることから来ています。この弧を6分の1に広げたものが、今の六分儀です。

天の南極はこの星座の中にあります。いちばん近い肉眼の星は σ星ですが、明るさは5.4等しかなく、北極星のような目印にはなりません。しかも天の南極は σ星から少しずつ離れていて、次に南極へ近づく肉眼の星は同じはちぶんぎ座の ι星、西暦2800年ごろのことです。

ろくぶんぎ座 — 航海の六分儀ではない

名前からは航海の道具に見えますが、ろくぶんぎ座のもとになったのは船の上の六分儀ではありません。ポーランドの天文学者ヘヴェリウスが、星の位置を測るのに使っていた天文観測用の金属製の六分儀です。

その六分儀は、1679年9月26日の火事で、彼の他の観測器具とともに焼けてしまいました。ヘヴェリウスは1687年付の星表でこの星座を Sextans Uraniae(ウラニアの六分儀)として加え、星図は彼の没後、1690年に刊行されています。1725年にフラムスティードが Sextans と縮め、今の名前になりました。

北極星 — 明るさではなく位置

北極星(ポラリス)は、こぐま座の尻尾の先にある星です。明るさは約2.0等で、全天で数えると50番目前後になります。夜空でとくに目立つ星ではありません。この星が特別なのは、天の北極から約0.7°しか離れておらず、一晩じゅうほとんど動かないことです。その高さが、見ている場所の緯度にほぼ等しくなります。

おおぐま座の北斗七星から探すのが昔からの方法で、ひしゃくの先の2星(メラクからドゥーベ)の間隔を約5倍のばした先に北極星があります。

ただし、ずっと北極星だったわけではありません。地球の自転軸がゆっくり首を振る歳差運動のため、天の北極は空の中を移動しています。紀元前2750年ごろは、りゅう座のトゥバンが極にいちばん近い星でした。古代ギリシャの時代には極の近くにめぼしい星がなく、紀元前4世紀の航海者ピュテアスは極のあたりを「星のない場所」と書いています。今の北極星は2100年ごろに極へいちばん近づき、その距離は約0.45°です。

南十字 — 船乗りが見つけ直した星

みなみじゅうじ座は88星座でいちばん小さな星座です。プトレマイオスの時代には独立した星座ではなく、その星はケンタウルス座の後ろ脚に含まれていました(どの星がどれにあたるかは、古い星表の位置の誤差が大きく、はっきりしません)。その後、歳差運動のためにヨーロッパからは見えなくなっていきます。

これを見つけ直したのは、15〜16世紀に南の海へ出たヨーロッパの航海者たちでした。1500年にはジョアン・ファラスが十字の星をスケッチしていて、これが記録に残る最初の図です。1514年にはジョアン・デ・リスボアが、十字の星から緯度を出す方法を書いています。

星座として独立するのは少しあとで、1598年のプランシウスの天球儀に今の形で現れ、1624年のバルチュの星図で、印刷された星図として初めて独立した星座になりました。

十字の長いほうの軸を約4.5倍のばすと天の南極のあたりに届くので、南半球ではこれで南を知ります。近くには、りゅうこつ座とほ座の4星がつくる、ひと回り大きくて少し暗い「にせ十字」があり、見まちがえやすいことで知られています。

カノープス — 舵取りの名前をもつ星

りゅうこつ座のカノープスは −0.7等で、シリウスに次いで全天で2番目に明るい恒星です。名前は、ギリシャ神話のメネラオス王の船の舵取りに由来すると伝えられています。エジプトで蛇にかまれて死に、その埋葬地にカノープスという町ができたという話です。

南に低い星なので、紀元前3世紀ごろのギリシャ本土からは見えませんでした。アレクサンドリアにいたプトレマイオスには見えていて、彼の星表でいちばん南の星になっています。

中国では南極老人星と呼ばれ、寿命をつかさどる寿星と同じものとされました。日本でも見ると長生きするという言い伝えがあります。ただし日本では南の地平線すれすれにしか昇らず、平地で計算上見えるのは北緯37.9°(福島県の北端あたり)まで、那覇でも南中したときの高さは11°ほどです。

南天の星座をつくった二つの航海

古代ギリシャの星座は、ギリシャから見える空の星座です。南の空には、長いあいだ名前のない部分が残っていました。そこを埋めたのが、二度の大きな機会でした。

一度めは、1595年に出航したオランダ初の東インド遠征です。首席航海士のピーテル・ケイセルは、主にマダガスカルで南の空を観測しました。ケイセルは1596年にジャワのバンテンで亡くなり、記録は1597年の帰国とともに地図製作者のプランシウスへ届けられます。1598年のプランシウスの天球儀に12の新しい星座が初めて現れ、1603年のバイエルの星図『ウラノメトリア』に載って定着しました。かじき座、とびうお座、きょしちょう座、ほうおう座などがこのときの星座です。同じ船団にいたフレデリック・デ・ハウトマンは、次の航海でスマトラに2年間捕らえられ、その間も観測を続けて1603年に星表を出しました。12星座を誰が区切ったのかは、ケイセルとデ・ハウトマンとする説とプランシウスとする説があり、決着していません。

二度めが、ラカイユの喜望峰での観測です。1750年に南アフリカへ渡り、1751年8月から1752年7月まで、テーブル湾の近くで約1万個の星の位置を測りました。1756年に発表した14の新しい星座のうち、テーブル山にちなむテーブルさん座を除く13が、羅針盤・八分儀・望遠鏡・顕微鏡・振り子時計といった科学と芸術の道具です。神話の人物や動物で埋まった北の空とは、まったく違う並びになりました。

星座の数が88に決まったのは、1922年の国際天文学連合(IAU)の第1回総会です。星座どうしの境界線はベルギーのデルポルトが引き、1928年に承認され、1930年に刊行されました。

ホクレア号 — 計器を使わずに渡った太平洋

ここまでの星座は、羅針盤や八分儀を持ったヨーロッパの船の話です。太平洋には、道具を使わずに星で島から島へ渡る航海術がありました。

1976年5月1日、伝統的な航海カヌーを復元したホクレア号がハワイのマウイ島を出て、約1か月後の6月初めにタヒチのパペーテに着きました。計器は使わず、星の昇る位置と沈む位置、風、うねり、雲を読んで進んでいます。口承に残る島々の間の航海が、計器なしで本当にできたことを示すための航海でした。パペーテでは、島の人口の半数を超える1万7千人以上が出迎えたと記録されています。

このとき航海士を務めたマウ・ピアイルグは、ポリネシアではなくミクロネシアのカロリン諸島、サタワル島の出身です。彼から学んだナイノア・トンプソンが、水平線を32の方位に分け、星の出入りの位置で方向を知る「ハワイアン・スター・コンパス」をまとめました。古代のものがそのまま伝わったのではなく、マウの航海術をもとに現代に組み立て直された体系です。

88星座の一覧

五十音順。上の本文で取り上げた星座は、図を押すとその節へ移ります。図はブログ一覧のサムネイルと同じもので、星の大きさは実際の明るさ(等級)に合わせています。星座の向きは、ある日時・ある場所の空ではなく、一般に描かれる向きです。

主な参考資料